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映画監督:ヤン・カワモト YAHN Kawamoto |
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YAHN Kawamoto |
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55年 |
・東京出身 |
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61年 |
・小学時代に仲間とオリジナル台本を創作。”紙芝居”を制作 |
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70年 |
・中学時代から8oフィルムに興味を持ち、自主制作映画を作り始める
処女作「なにげなく」(8o,color30分:,未完成) |
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74年 |
・大阪芸術大学・映像計画学科にて脚本家の故・依田義賢と宮川一夫カメラマンに師事、毎年作品を作り、映像を学ぶ
「差別意識へのメッセージ」(8o,B/W,3min.)、「青い背景」(8o,color,30min.)、「波紋の記憶」(8o,color.90min.) |
78年 |
・卒業制作「兎が眠っている(16mm,color,32min.)を発表 |
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79年 |
・「ぴあフィルムフェスティバル'79」にて「兎が眠っているよ」が入選、同作品が東京の劇場にて一般公開される |
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80年 |
・「兎が眠っているよ」が英語翻訳され雑誌ぴあのプロデュースでアメリカの「サンフランシスコ映画祭」へ出品 |
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81年 |
・「彗星白書」を書き下ろす。企画をA.C.G.(佐々木プロデューサー)に持ち込むが、賛同されず。その後、劇場用35ミリ自主映画として完全自主制作、完成・「彗星白書」(35mm,color,152min.) |
・同年、公開を目指すが、映画倫理協会から映倫マークを拒否される |
・以後、どこの会社にも属さないフリーのディレクターとして活動 |
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84年 |
・ドキュメント作品「三浦雄一郎のアドベンチャースキー」がフランス「国際探検映画祭」の「冒険探検特別賞」を受賞 |
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80年代 |
・株式会社リクルートの企業プロモーション作品を多く演出。株式会社リクルート開催の年間作品賞を多く受賞 |
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93年 |
・株式会社リクルートの社員総会ステージを演出(於:日本武道館にて観客5千人) |
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・三菱自動車、横浜ゴムなどの海外向けコマーシャルなど多く制作 |
・日本で初めての「パリ〜ダカール・ラリー」のドキュメント番組制作に携わる |
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90年代 |
・「探検レストラン」、」「追跡」、「発掘!あるある大事典」、「日米凶悪犯罪事件簿」など、民放全社、NHKゴールデンタイムで、情報系のテレビ番組の演出を多く手掛ける |
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・TX(テレビ東京)にて朝のワイドショーの局付チーフプロデューサーを1年の間、務める |
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95〜98年 |
・MXTV(東京メトロポリタンテレビジョン)の開局に携わる
・同・開局直前14時間生放送の総合演出で局の始めての放送映像を制作する
・同・「モーツァルトの東京」と題して都市TOKYOを16:9ワイド映像で叙情映像詩を連作する
・一枚の写真と東京住民の証言だけで綴るドキュメント番組「東京記憶地図」を制作
・生放送番組にフォークの小室等を迎え、透き通る様なミュージックトーク番組を制作 |
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02年 |
・衛星放送スカイパーフェクTV913CH 「パラダイステレビ放送株式会社」に取締役として迎えられる |
・インターネット事業拡大を目指し「メディアデザイン室」を設立
・斬新なビジュアル系報道番組「女子アナ水着ニュース」を企画、制作。インターネット配信による番組をスタートさせる
・KDDIのauなどEZ-WEB携帯サイトでも「女子アナ水着ニュース」をスタート。アイドル・グラビア部門で人気度全国トップ3となる。 |
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03年 |
・同社、現場総責任者として制作・営業の統括となる
・携帯サイト事業を拡大。DoCoMo公式サイトで i-modeに加えFOMAでも動画配信を行う |
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04年 |
・同社・取締役を辞任
・新たなIT事業拡大を目指す「TOKYOデジタルニュース株式会社」を設立、
全業務統括となる
・Vodafoneでの携帯サイトをスタートさせ、全キャリアにおける事業拡大に成功 |
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05年〜 |
・演出家としての活動を充実させるために、同社を離れ独立。自主活動を期にペンネームを「河本浩志」から「ヤン・カワモト」に改名。m斬新でユニークな映像制作、ステージ演出などを目指し、活動中! |
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