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解答 5

【ダライ・ラマ氏のお言葉】
自分の欠点に1つでも気付くことは、他人の百個の欠点に気付くことより、ずっと有益なことです。人の悪口を言ったり、人の生活に摩擦や不安を生じさせるような振舞いをするのではなく、相手をできるだけ純粋に理解すべきですし、人のことを話すときには、その人の良い点について話すよう努めるべきです。自分が誰かを中傷していると感じたら、自分の口に何でも押し込んでしまえばいいのです。そうすれば、すぐにそんな振舞いは やめられます。

【HIRO反証】
私は学生の頃、絵画を目指す友人と芸術論争になり、芸術作品を見る、見方について衝突した。友人は、極論を言えば芸術作品はその欠点を見いだすべく鑑賞し、批判すべきだと主張した。私は、芸術作品はその作品を通して、作者が何を伝えようとしているかを観察すべきだと主張した。批判からは自己の価値観しか育成できない。しかし、読み取る事で、自己以外の価値観をも学び取れる。もしくは、自己に眠る未開拓の感性をも、引き出してくれるかもしれない。批判しては、そこで終わってします。その意味では、合点する。
しかし、人は日々変化し、自分やその他の人の気持ちを不愉快にさせ、危害も加えることがある。人の批評をする事は、本来、不要な事でしょう。しかし、人の悪行をそのままにして、果たして幸せはあるのか?人の不道徳や勘違いを指摘して、意見を求める事で、自分の価値の本質を教義出来るのではないのか?本来、人は正解を有していない。答えを日々の会話から求めている。人を批判する事はない。他人を通して、体験のシミュレーションをして、答えを導く、対話による真実の探求として、「悪い点の指摘」は、有意義なのではないか?批判した行為を非難するのではなく、批判した本質、本意に正義を求める事こそ、人の真理探究、幸せ探求の道なのではないか?


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