大変なお話             (1978年作品)  朝。 「おはようございます。」 朝早くに、開店間際の喫茶店にこう言って一人の女が忙しく入ってきた。ショルダーバッグを右に抱え持っている。顔は、化粧が完成しておらず、起き抜けにやっつけ仕事で済ませてきたのだろうか、目許にだけ その化粧が集中している。…であるからして、一瞬目の周りの黒い”痩せダヌキ”かしらんと思ってしまうのである。つまり、そのタヌキが遅刻して喫茶店の自動ドアを忙しく入ってきたのである。そこで、ウエイトレスどうしの会話となる訳だが、先ずは着替えの済んだタヌキから・・・。 >>お、は、よ、う。  同僚の女が答える・・・、 ==おはよう。  しばらく、意味不明な沈黙。相手の女はそのタヌキ面の女の習慣的遅刻に、不条理な慣れを感じている自分に怒っているようでもある。 >>………、………。 ==……、………………。  そして、沈黙を破ったのは例によってタヌキの方である。 >>もお、大変で嫌んなっちゃた。 ==本当、………。 >>私んとこ共稼ぎじゃない。 ==あァ、そうだったわね。 >>朝がきついのよね。彼に食べさせてくるじゃない…。 ==あら、ちゃんと作る訳?朝食を。 >>そうなの、彼に食べさせてからね。 ==そう、それじゃ大変よね。 >>それにさ、男の人だったら食枕マませてポーンて出て行けるけど、女はそうゆう訳行かないじゃない。 ==そうョね。 >>洗い物なんかは帰ってからするにしても、お化粧もしてこなくちゃならないでしょ。それだけでも最低15分は掛かるじゃない。 ==それはそうね、10分や20分なんてすぐ掛かる。 >>そうなの、すぐだもの。…食事を作って食べさせて、その上お化粧でしょ。それで仕事には間に合わなくちゃいけないし。 ==そう考えてみると、あなたなんて二つの職場を掛け持ちしているようなものだものね。大変よね。 >>そうなのよね。まったく女なんて損だわ。 ==…そうなの、大変よね。  タヌキはようやく息を整え始め、さらに付けく加えた。 >>まったく、朝それだけのことをして仕事の時間に間に合う様に来るとなると…ねェェー。 ==大変だわよねェ。 >>だからどうしても遅れちゃって、化粧だったろくにしないで出て来ちゃうの。 ==大変だわねーェ。 >>うん。………そうそう、お化粧してこなくちゃ。ちょっとイイ? ==うん、ゼンセン、ゼンゼン…どうぞ。 >>………!  かようにして、タヌキは忙しそうに店の奥へと引っ込んでいった。  まことに、由々しき、大変なお話であります。果たしてタヌキ顔の彼女は如何ほどに「大変だった」のか、私には未だに良く解らない。                 [完]