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■ダライ・ラマ法王■
〜宗教はある意味で哲学であるという仮定で宗教と科学を考える考察〜 
  『3つの動くモノと太陽の意義』

【HIRO総論】
あらゆる宗教の教義は、哲学的な意味合いを持っている。
しかし、哲学と決定的に違うところは、学問であるか、教えであるかの、大きな違いである。
哲学はある種の素養と知識と知能を必要とする。真理の探究の最先端科学である。
しかし、宗教は主に貧困に喘ぎ、学問のない人々を導く事を目的(もしくはそれを前提に)して構築された生活に根ざした教えである。どんなに貧しく、知識に乏しく、理解力のない人にも、物事の真理を示す科学である。その意味では深い存在意義はある。しかし、それを知識人に押し付けるのは、余りに強引である。
しかるに、何故、宗教は必要とされるのか?もしくは、必要な場合があるのか?それは宗教的な布教行為と時間が関与する。
人は、理屈では分っていても、悩み、苦しみ、間違いを犯す。
その時(時間)に言葉(教え)をささやかれると、心にしみて、芽生え、又は我に帰る。宗教はそのようにして時間とのTPOで効力を示す。その点でも、哲学とは一線を画すると考える。
哲学的真理は、その真理の探究の過程、そして導き出された回答に多くの心の言葉を見いだし、心を言葉という表現に表出させた成功に、心の解放が訪れる。それは、宗教以上に生活に便利な存在ではない。しかし、生活と経験と常識に捕われないだけ、真理の探究と恒久の平和を導き出す、指針になり、未来の可能性になるのではないか。その意味で、宗教と科学のシンポジウムの中でも、相容れない永遠の距離を持つ、親と子供の絶対的な信頼と愛情にも似て、絶対的な距離を持つ関係と思える。

        2003/10/14 東京・世田谷の自宅にて  河本浩志(ハ サンヤン)著